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建築キャリア30年超。これまで幾つものご家族を見つめ、
至極の空間を生み出してきた斉藤社長に、
家をデザインすることについてお聞きしました。

“確認申請から、現場の掃除まで。”
設計士でありながら、会社の成長過程を経験し、
建築にまつわる、ありとあらゆる全てを
経験してきた稀有の建築家。

(聞き手)――建築に携わり始めてから30年が経ちます。

斉藤社長以下:)名古屋で学生をやっていた頃からだとすると、30年になるね。言われてみれば、ずっと建築のことばかりやってきた人生ということになる笑。まぁその時間の分は積み重ねてこれたから、いま自信を持って住まい手の皆さんに「こうするのが良いですよ」と言えるんだけどね。

――最初から福井県の地元で、建築をやろうと考えていたのですか?。

:いや当時は、やはり名古屋のような大都市に設計士のニーズがあるんだろうなぁって、漠然と考えていて。ゆくゆく故郷に帰って仕事ができたらいいなぁとは思っていたんだけど、設計士って地方都市ではちょっと難しい職業だろうなぁって考えてた。だから最初は、主に愛知県で仕事をしてる設計事務所に就職したんだ。

――斉藤重一建築との出会いのきっかけは?。

:先代(現会長)が三国町で創業した時期、日本の行政は建築基準法をはじめとした法制度を整えようとしていた時で、次々とそれまでの建築のルールを改正していたんだよ。それで先代が自分の作っていた家の建築確認申請をその設計事務所に依頼し、たまたま私が担当していたんだね。

――若かりし頃の先代(現会長)は、いかがでしたか?

:人情深さや温情を強く感じましたね。当時、法改正で気を張っていた役所の人たちも、それを感じたせいか、すぐに仲良くなってて。そばで見ていて「こんな人いるんだなぁ」って思った。

――今でも、個性の強さは光ってますね笑。そんな会長との出会いから社長は、斉藤重一建築で建築を やるのも面白いと考え始めたとお聞きしたのですが?

:そうだねぇ。でも三国町と名古屋市では仕事の仕方は全然変わるだろうなと思いましたよ。

――三国町での「建築家の仕事の仕方」ですか?

:名古屋市のような大きな都市と、三国町とでは環境が違いますからね。しかし、かといって三国町では建築家が必要ないかと言えば決してそうではないと思うんです。現に、私はこの三国町で育てられた希少な建築家だと自負しています。都市部で育つ建築家は、そりゃあ、たくさんいますよね?しかし、環境が近いと人間は同じような発想をついついしてしまう。同じようなアイデアがたくさん存在してもあまり価値がない。そう言った意味では、私たち地方都市で育った建築家には特色があります。それに、携わってきた役割に比例して、経験も圧倒的に多い。それこそ家の立ち舞の時になど「ちょっと予定より遅れているな」と思った時、普通の建築家は柱に登っている大工に、下から「急げ」と指示を出すだけ。でも、私は若い時など先代を手伝って一緒に、柱に登ってましたから笑。遅れているなと感じると、さっさと掛矢(大きな木づち)を持って、柱に登って作業をします。どっちが現場の大工を、本気にさせるか?わかりますよね?

――なるほど。大工さんも本気にさせないと、いい仕事になりませんものね。

:そう、いま斉藤重一建築が住まい手の皆さんに喜んでもらえている理由は、「家づくりに携わる人間、全員が本気でいいものをつくろうとしているから」だと思うんです。ウチでつくる家は、他社のと比べても、とてもバリューが高いと思います。例えば「家の広さ」。うちの会社は、基本的に、平均坪単価という数値で経営を全く見ていません。

――よく聞きますよね、坪単価って。

:大体の場合、坪単価って、建物の豪華さの単位みたいに信じられているんだけど、全然そんなことないんです、本当は。

――そうなんですか?

:だって家のデザインを考えるときに「ここはこだわりどころだ」とか「この部分があるから、他が生きる」とか、普通にあるじゃない?そういう坪単価みたいな数値って、変な縛られ方をするわけですよ、デザインを考える時に。

――思考の邪魔になるような?

:そうですね、邪魔ですね。だから、うちでデザインする時は「この単価で、このデザインは豪華すぎるだろう」とかは、考えないんです。「これがベストだ」とか「これが一番いいデザインだ」っていうのをちゃんと実現することを大切にしているんです。だって坪単価がほんのちょっと高過ぎるからって、すごく良いデザインが実現できないなんて、なんのために「ものづくりの仕事」をしているかわかんないでしょう?

――確かにそうですよね。

:だからウチのつくる家は「いい家だねぇ」って言われることが、絶対条件だと思っています。多少、思ったより利益が少なくなったとしても笑。

――でも仕事のハードルが高そうですね。

:その代わり、家が出来上がった時の住まい手の皆さんの喜び様、満足そうな笑顔と来たら、見てるこっちが涙が出るくらい喜んでくれるからね。あれを見るとやめられません。

――それを見るためだったら、ちょっとぐらいの努力はいとわない?

:全くいとわないですね。むしろ、そのための会社だと思ってるかな笑。

効率の良い大量生産の方法だけが
住宅建築に残されたやり方では、ないはずだと思う。

――斉藤重一建築のつくる家は、檜だったり、木がとても特徴的ですね。

:個人的には、木という素材について、私たちは未だその可能性を全部わかっている訳ではないと思うんです。

――科学的に解明されていないことがまだあると?

:科学はまだ多くのことを解明できていません。だけど現在の風潮として、科学的根拠を持つ情報ってインパクトが強すぎて、人間はすぐにそれに頼ろうとしてしまう。だから、「科学的には解明されていない事で、とても良いもの」を見失ってしまっている気がします。

――確かに未だ分かってないことは多いですよね。

:分かっていることだけを頼りに進んでいくのは、ちょっと片手落ちじゃないかって思う。ウチが木の良さを生かした家をつくることを大切にしているのも、そういう部分に関係しているんです。私は、よく住まい手の皆さんのお話を聞かせてもらうんですが、いつもそう感じます。皆さん「足がツルツルになった」とか「肌が調子良い」とか、もちろん気持ちの問題もあると思いますが、こういう感想を本当にたくさん頂く者としては「あぁまた、この人もおっしゃったなぁ」と思う度、きっと何か現在の科学では分からないものが働いてくれているんだろうなぁと理解するほかありません。

――斉藤重一建築の特徴としては、大工がつくっているというのも外せませんね。

:木の良さを活かす建築を考える時、組織としても地域社会としても、大工が育っていく環境は大切だと思います。本当に熟練した、いわゆる「ホンモノの大工」がいない現場の代表格がプレカットやパネル工法という大量生産のつくり方ですね。大量生産とオーダーメイド。両方のつくり方を比較すると、おんなじ家をたくさん作るのに適したやり方が大量生産なんですね。そういうものには、やれることの制限が発生します。それによって設計変更を余儀なくされる。私たちは、少なくとも2200年代にも全く問題なく住める長持ちする家を建てていますので、そういったところに妥協したくはないなと思うのです。それに何億円という投資を機械にかけて、人を減らし、効率の良いだけの建物を大量生産するというやり方は、木という自然の生んだ素材を使わせていただいている私たちの感覚には、ちょっと傲慢に映るんです。経営者という立場で考えても、同じ何億円を投資するのなら、若者が大工として成長していく組織に投資していきたいと思う。その方が事業としても、継続性も展望もあると思うし、社会貢献度も高いと感じるんですね。

――確かに。本当ですね。建築もそのつくり手たちの環境も、全体として美しくあってほしいですもんね。

:そうでしょう。1000年以上前に建てられた世界最古の木造建築の法隆寺が、効率を気にして制限されたデザインだったら、とっくに焼失してたとしても別に惜しくはないですよ。美しいからいつまでもそこにあって欲しいという、「願い」が生まれるんじゃないですかね。

斉藤重一建築:代表取締役社長/斉藤 正弘プロフィール

斉藤 正弘(さいとう まさひろ)19XX年、愛知県名古屋市にて設計事務所に勤める。その事務所で設計・申請業務において、先代社長/斉藤重一(現:会長)と出会う。先代社長の仕事を設計者として手伝いながら、人柄の良さや、官庁の人間ともあっという間に打ち解ける不思議な魅力から、地元であった福井県坂井市の斉藤重一建築でやってみようと飛び込んでみる。しかし、先代の社長は当時、喉から手が出るほど欲しかったはずの設計士の申し出を断る。それは「もともと勤めていた設計事務所に悪いだろ?」という配慮からだった。人一倍、人情を重んじる当時の会長に対し、今度は設計事務所の社長の方から「うちにいるより、そっちの方がこの子が生きるから」と、なんと自社で育てた有望な若手設計士を推薦したという。それならばと先代も喜んで受け入れ、以来、奇遇にも同じ「サイトウ」の師弟関係がスタートする。それから約20年。紆余曲折を経ながらも会社を躍進させ、2014年に株式会社斉藤重一建築の社長に就任する。